先週、倒れたばあばあは、様態が急変して亡くなりました。それまで元気だっただけに、お通夜や告別式を終えても、亡くなったという実感が湧かないのが本音です。
何度か涙したのに実感がわかないというのは、それだけ、ばあばあが元気だったし、ばあばあがいなくなるという現実から逃避しているのかも知れません。。。
ばあばあの昔の家には縁側があり、子どもの頃は、ポカポカと陽にあたりながら、ばあばあと一緒に、お菓子を食べたり、お茶を飲んだりしたのが今でも鮮明に覚えています。
あと、補助輪を外した自転車の練習をしたり、裏庭で遊んだり、牛乳を飲みながらテレビを見たり、まるで、自分の家のように入り浸っていました。
僕が小学生、中学生、高校生、大学生、社会人となっても、常にばあばあは身近な存在で、子どもの頃と同じように、常に元気に、常に僕の味方として接してくれました。
そんなばあばあを多摩川の花火大会に招待した時には、花火大会が初めてだったようで、とても喜んでくれたのは、少し恩返しができた気分になりました。で、昨年も招待し、一緒に見たのは、いい想い出です。
今年の花火大会では、その時のことを家族全員で思い出すのかな?
でも、その時、ばあばあが横にいないのを感じて、ようやく、ばあばあがいなくなったことを実感するような気がします。
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