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2012年9月29日土曜日

先輩や仲間との別れ

katuhiko0821-仲間

本日(9/28)付で、NECカシオモバイルコミュニケーションズやNECの多くの先輩や仲間が退職され、新しい出発をされていきました。素直に寂しい...。

今回のような大規模なリストラ(再構築)による別れは、僕自身、3回目の経験となります。
1回目は、入社したNECホームエレクトロニクスのリストラ、1999年9月の出来事、
2回目は、今の会社、NECカシオモバイルコミュニケーションズのリストラで、日立出身の方々が日立に戻られた時、2012年3月の出来事、
そして、今日で3回目。NECカシオモバイルコミュニケーションズ、及び、NECのリストラ。


【1回目の別れ】1999年9月 NECホームエレクトロニクス

入社4年目での出来事でした。
家電を扱っていたNECホームエレクトロニクスが他メーカに対抗できず、プロジェクターや照明機器などの継続性のある事業を除き、解散/分社化。
当時、ワープロの商品企画を担当していましたが、1995年のWindows95によるパソコンの急激な普及と同時にワープロという商品カテゴリが消滅すると共に、事業部門も消滅。僕はNECに出向/移籍になったものの、妻は退職。
当時はソーシャルメディアもなく、ケータイのメールも立ち上がったばかりで、お互いの連絡先も伝えられないまま別れ離れになり、今も音信不通の方々が多いのが悔やまれて仕方ありません。いつか、きっと会えると思っていたものの、時間の経過と共に会える可能性は低くなっています。自分がいけないのですが、時間と共に色々と教えてくださった先輩や同期の名前さえ忘れかけていて、facebookでも探せない始末...。

【2回目の別れ】2012年3月 NECカシオモバイルコミュニケーションズ

2010年に、カシオ日立コミュニケーションズ(CHMC)とNECの携帯電話事業部門が統合され、新設されたNECカシオモバイルコミュニケーションズ。スマートフォンへの急激なシフトと共に、iPhoneやGalaxyなどのグローバルに展開しているモデルを有するAppleやSamsungに単独では対抗できなくなった国内メーカが統合する機運の中、新会社への不安も確かにありましたが、変えなければ変わらないという思いで新会社に期待した当時。
僕らが育ってきた文化とは違うカシオ・日立の方々との2年間は、熱く意見を交えることもありましたが、NEC単独の時より多様な課題解決のアプローチが見えてきて、時間が経つにつれ楽しく、明るい気持ちになってきました。ただし、様々な理由で業績回復が伴わなず、焦りが生じ始めていた頃、新しい出会いがありました。2011年4月と7月の異動で出会った新チームメンバーとの活動はハンパなく印象深く、そして、業績回復につながる実績も残せて、再生できるという自信にも繋がった1年間でした。しかし、この充実した時間がしばらく継続すると思っていた矢先に、第1弾のリストラが始まり、チームメンバーの一人であった日立出身の彼女は、日立に戻ることになり、辛い別れとなりました。すべてにおいて優秀な彼女とは、商品企画だけでなく、会社拡張の活動も一緒にチャレンジさせてもらったので、facebookでツナガっているとはいえ、また、違う環境で活躍されているとは頭でわかってはいるものの、気軽に相談できない寂しさを今でも感じています。

【3回目の別れ】2012年9月 NECカシオモバイルコミュニケーションズ

最初の会社が消滅し、携帯電話事業部門に引き取ってもらったのですが、スピード感がまるで違う仕事環境に心身共に付いていくことができず、当初は度々休んでいました。そのような僕にも温かく接してくれて、スピード感ある仕事のスタイルを教えてくださった先輩や仲間が、今日、退職され、新しい出発をされていきました。その方々とのエピソードを簡単に振り返ってみます。

●新入社員の頃からマーケティングや商品企画のノウハウを丁寧に、優しく教えてくださったSさん。何にもできなかった新入社員当時を見られていたという照れくささ以上に、常に新しい気づきやノウハウを提供してくださる先見性に見習うことが多すぎて、頭が上がりませんでした...。
●会社で3回泣いたことがあるのですが、その1回の場で戦ってくださったTさん。相手の理不尽さに悲しくなり思わず泣き始めてしまった僕の横で、その相手に殴りかかろうとした武勇伝も忘れられません...。(女性ですw)
●NECホームエレクトロニクス時代から一緒だったNさん。常にかっこよくて笑顔を絶やさない、優しいお兄さんとして憧れの存在でした。
●マーケティングを進める中、僕自身にはわからない“母”としての視点で多くの気づきをプレゼントしてくださったHさん。
●プロジェクトの週次レポートを期限までに出さない僕を、優しい笑顔で待っていてくださったNさん。
●短期間でしたが、同じグループで熱い思いをぶつけ合えたHさん。多様な価値観が揃うチームの可能性や重要さを再認識させてくださいました。
●情報収集&分析に長けて、いつも色々と教えてくださったAさん。僕にとってのキュレーターでした。
●「日本Androidの会」の幹事だけでなく、あらゆる分野で活躍されていて、社内外という枠を超えて活動することの大切さを教えてくださったS先生。
●ドラクエのプリインストールという大きな仕事もそうだし、プライベートでも色々と冒険させいただいたNさん。

他にもステキな方々が新しい出発をされていきました。
本当に、ありがとうございました。そして、これからも、よろしくお願いいたします。


katuhiko0821-NEC玉川


NECの早期退職制度に2393人が応募、対象者の15%
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20120828/418802/

NECは2012年8月28日、本社やグループ会社の正社員を対象とした早期退職制度に2393人が応募したと発表した。応募要件を満たす社員は約1万6000人で、対象者の約15%が応募したことになる。2011年度決算で事業構造改善費用として298億円を計上していたが、2012年4~9月期に約29億円を追加計上。1人当たり平均約1300万円となる。

 NEC本体のほか、NECソフトなどグループ会社の間接部門、携帯電話事業やサーバーやストレージなどのコンピュータ機器の事業部門に在籍する勤続5年以上の40歳以上の正社員が対象だった。

 早期退職制度の利用者に対し、退職金に加えて特別転進支援加算金の支給、再就職支援会社を通じた再就職支援サービスを提供する。応募した社員は9月28日付で退社する。

 NECは1月に事業構造改善の一環として、NECとグループ会社で正社員や派遣社員を合計約1万人削減すると発表していた。今回の早期退職の募集により完了するという。

2012年9月4日火曜日

映画『ニッポンの嘘〜報道写真家福島菊次郎90歳〜』

「B to C」から「B with C」へ。そして、「B with C for Social」へ。
ソーシャルシフトを通じた生活トレンドを表現する関係性として、最近、多用しています。

リーマンショックや311東日本大震災による不況や不安がデフォルト化した中、身の丈ほどほどの自分基準のハピネスや、自分にできるコトを見つける。自分にできるコトが他人の役に立つ。ツナガリによる自分探しと社会参画(貢献)を通じて、社会の中での自分の居場所を作る。

この前提となるのが「ツナガリ」。
ツナガリを通じて、知らないことを知る。自分が成長して新しい価値を創出する。仲間と一緒だからこそ、仲間が応援してくれるからこそ、何かができそうな気がするし、行動につながる。

では、ツナガリがないと社会参画(貢献)できないのか?

そんな疑問を感じていた時に、ふと目にした映画の予告編。
たった一人で、常に社会を直視し続けてきた報道写真家 福島菊次郎さん 90歳を知るために、映画『ニッポンの嘘~報道写真家福島菊次郎90歳~』を観てきました。

政治に疑問を感じていて、政府を攻撃しているからこそ、年金を受けない生活を自ら選んで送る意志の強さ。
広島の原爆被害、東大紛争、ウーマンリブ、三里塚闘争、水俣病、自衛隊などの「事実」を直視し、「事実」を伝え続け、「事実」を探求し続ける。それらは、これから起こりえる「未来の事実」で、過去の過ちを繰り返さないようための使命感と感じました。

たった一人で、今も、事実を伝え続けることで、社会や未来をデザインしている福島菊次郎さん。
映画を観終えた今、「ツナガリがないと社会参画(貢献)できないのか?」という問いに対して、自分の中では答えが見つかっていませんが、少なくても、福島菊次郎さんは一人で成し遂げたという事実だけは忘れません。

いや、僕に、勇気がないだけの気がしてきました... (・_・;)


映画『ニッポンの嘘~報道写真家福島菊次郎90歳~』
http://bitters.co.jp/nipponnouso/

katuhiko0821-ニッポンの嘘