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2011年1月4日火曜日

『ワールド・カフェをやろう!』(序章〜第2章)

ワールドカフェコミュニティジャパン(WCJ)の副会長 大川恒さんから頂戴した『ワールド・カフェをやろう!』を読書中。

まずは、序章から第2章までの気づき。


●引用 その1「ワールドカフェが必要とされる生活環境の変化」

 ①コントロールからコラボレーションへ
 ②相互依存関係の複雑化
 ③「教える」から「学ぶ」へ
 ④指示命令からダイアログへ

 →「共生」「共創」という生活トレンドの確からしさを再確認。
  B to CやB to Bでなく、B with C・B with Bという to から with への
  流れは、不況がデフォルト化した中、必然の流れ。
  これを経済成長を続けている中国や韓国に対する日本の強みとして
  捉えれば、きっと、明るい未来を築けるはず。


●引用 その2「コミュニケーションによるイノベーション」

 これまであまりにもスピードと効率の向上を追求し、人をあたかも機械の部品のように扱う風潮が広がった結果、人々は分断され孤立してしまいました。(中略) 今求められているのは、バラバラになってしまった個人がお互いのつながりを取り戻し、コミュニケーションを深めることで新しい時代に相応しい知識や価値、仕組みを生み出していくことなのです。

 →以前、twitterにも書いたけど、「少数精鋭」の利点は、ほぼない
  と言っても過言ではないと思う。
  少数精鋭の「少数」を決めているのは、この「少数」の人たち。
  コミュニケーションを通じた集合知によるイノベーションには、
  少数は不向き。



●引用 その3「ワールドカフェ活用の背景~企業の中での自己実現~」

 組織の中では必ずしも必要とされていない「もう一人の自分」を表現し、活用できる場を求めている人が多いということがありそうです。(中略) 企業で発揮できるのは多くの場合、その一部に過ぎません。

 →「もう一人の自分」、確かに自分にもいます。
  ワールドカフェや対話を中心とした会議体への参加を通じて、
  もう一人の自分が、自分の中で「可視化」されることが大切だし、
  他人の中の「もう一人の他人」を知ることで、あらゆる可能性が
  広がることの期待感が生まれ、大げさかもしれないけど、
  できないことはない...と思えるようになってきた。


●引用 その4「決めない会議の定義」

 ワールド・カフェはそもそも、結論をだすことを目的としていません。筆者は、無理やり決めようとしなくてもいつの間にか決まっていく会議のプロセスを「決めない会議」(ビジネス社)で紹介しました。

 →「決めない会議」と言いながら、自分の中での行動が決まっていたので、
  実は「決めない会議」という定義が不思議でしたが、
  ワールドカフェという枠組みでは決めず、個々人の中で自然に
  決まることを指していたのですね。納得です!



●引用 その5「どよめき」

 会話は言葉の意味だけを伝えるものではありません。人々の思いが伝わると、「どよめき」になります。意味のやり取りだけが会話ではありません。お互いが言葉に込めた思い、気持ちを共感し合うことが会話の本質です。(中略) 論理だけで他人を動かすことはできません。人は、共感によってしか本気で行動しようとしません。論理が形成される前に生まれた気持ち、思いという本心が言葉に込められる時、人は共感し、協力し合っていく仲間になることができます。

 →確かに、どよめきというか、「おおっー」という高揚感、
  ありますね。この高揚感が何事にも変えられない行動力の
  源泉になってます。確かに!



●引用 その6「成功の循環」

 関係の質→思考の質→行動の質→結果の質
 組織変革を成功させるために最も重要なことは、「関係の質」を向上させること。

 →これ、すっごく納得。
  成功の循環の始めに「関係の質」あり。
  やはり、少数精鋭でなく、多様性を認めた上でのコミュニティを
  通じてイノベーションが創出されることを後押ししてくれた感じ。

  自分も気をつけていますが、
  「多様性を認める」と「一般論」は違いますよね。
  個々人の個性(=尖った部分)を認めつつ、
  普遍的な価値観や、共通的な価値観があることというように、
  個々人を指していることが多様性を認めることで、
  一般論と書いてしまうと、個々人の集合体を一括りにして
  いるような感じがして、嫌いです。



第3章以降は、また後で。


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